自分は人を殴ることに快感を覚えるタイプではないし、そもそもそんなことで拳を痛めてケーキを作れなくなるほうが馬鹿らしい。
…………とは思うものの、降りかかる火の粉を甘んじて受けるわけにもいかず、結果的にいつもこうなる。
「…………クッ、て、テメェッ!覚えてろよ……ッ!!」
「……………………」
聞き飽きた捨て台詞に返す言葉もなく、足腰の立たない奴等をそのままに裏通りから出ようとした、その時。
路地の入り口からひょっこりと顔だけ覗かせていた人物に気がついて、剣之介はハッと足を止めた。
天然色の明るい茶髪がさらりと揺れて、心配そうにこちらを見ている彼女の瞳をわずかに隠す。
「……先輩……」
剣之介がそう呟くと、存在を悟られたことを知ったのだろう。
「えーと、その、大丈夫?………って、当たり前か。橘くんだもんね」
自分の言ったことに頭を掻きつつ、は苦笑しながら盾にしていた店の陰からひょっこりと姿を現したのだった。
もともと帰宅途中だった剣之介は、部活がなくすでに下校して夕飯の買い物をした帰りだというの手からネギの飛び出した買い物袋を一つ
取り上げて、ゆっくりと歩く彼女の半歩後をマンションへ向かっていた。
「あ、ちょーっと待った。時間あるなら公園寄ってかない?」
なんとなく言葉少なだった空気を払拭するような明るい声で、は不意に目の前の公園を指差す。
マンションからさほど遠くないその公園は二人でも何度か散歩に来たりしていた場所だが、今の時間ではさすがに子どもたちの姿もなく、時折
風に揺れるブランコがどこか寂しげだ。
「俺はいいけど………先輩、夕飯の仕度とか大丈夫なんスか?」
「ヘーキヘーキ!ちょっとくらい遅れたって死にゃしないから」
「そりゃそっスけど」
先に立って公園の中に入っていくの後ろを付いて行くと、彼女はベンチに持っていた荷物を置いた。
「はい、ここに座る」
「は?」
「いいから座る!んで、ちょっと待っててね!」
「ちょ、先輩」
頭1つ分ほども図体のデカい剣之介を強引にベンチへと押し込んでどこへ行くのかと思っていると、はすぐ近くの水飲み場へ走っていく。
一体何がしたいのか。そんな素朴な疑問を内心で思い浮かべていると、三人組の女子高生が自分をチラリと見て、ギョッとしたように目を
見張り、わざわざ遠回りになる少し離れた場所をそそくさと早足で通り過ぎた。
そういえば、人数が人数だっただけに何発か食らったのだ。さっきの喧嘩で。
(そんなにスゲー面になってんのかな)
別段痛くも何ともないので剣之介はまったく気がつかなかったが、他人があんな顔をして目を逸らすのだから、もしかしたらどこかしら腫れたりしているのかもしれない。
そう思って口元に触れてみると、ピリリと鋭い痛みが走った。
「………ッ」
「あ、触っちゃだめだよ。ほら」
丁度水飲み場から戻ってきたが、痛みに顔を顰めた剣之介の手に触れてやんわりとそれを遠ざけると、代わりにひんやりとしたものが彼の頬をそっと拭った。
「もう止まってる、かな?橘くん、全然気がついてないみたいなんだもん。あのままウチに帰ったら絶対手当てとかしなさそうだし」
言われてようやく、襟元にも少し血が飛んでいたことに気がついた。
多分、相手の拳を避けた時に爪で引っ掻かれたのだろう。そんなに深い傷ではないし、確かに剣之介ならば放っておいたに違いない。
「平気っスよ、こんなの」
固まった血を優しく拭き取られるのに任せながらそう言えば、はむっと口を尖らせて今度はハンカチをやや強く剣之介の唇へと押し付けた。
「いッて!」
「ほーら見なさい。わかんないかもしれないけど、けっこう腫れてるんだよ?」
だから応急処置だけ。家に帰ったらちゃんと冷やすんだよ。
そう穏やかに笑うの顔を、剣之介はじっと見上げた。
「………怖くないんスか?」
「え、なにが?」
何を言われたのかまるでわかっていないらしいキョトンとしたその表情を見ながら、静かな声でもう一度問う。
「俺のこと。こんな、殴り合いして顔腫らすようなヤツ、怖くないんスか」
そう口にした時、さっき通りすぎて行った女生徒たちの姿が脳裏をよぎった。
無口で、無愛想で、硬派。
背が高くて、バスケやってて、カッコイイ。
回りの女生徒たちから自分がそんなふうに言われているらしいことは知っている。けれどそんなものはまるで自分のことじゃないみたいで、だから実際に
こういう場面に出くわした時の反応もわかっている。
腕力に訴えるなんて、野蛮。怖い。近寄りたくない。
「なんで。そんなことないよ。だって」
あっけらかんとした口調で答えて、はやんわりと目を細めてほほえんだ。
そんなことは至極簡単なことなのだと、その目は雄弁に物語っていて、案の定彼女は実に単純な言葉を剣之介にくれた。
「だって、橘くんでしょ?」
怖いっていうか心配しちゃったと、そう言って安堵の笑みを浮かべるの手から、患部の熱を吸ってすっかりぬるくなったハンカチを受け取る。
そうして口の端に当てたそれをしっかりと片手で押さえながら、ベンチに置かれていたネギの飛び出した買い物袋を持って、剣之介はすっくと立ち上がった。
「……もう平気っス」
「あれ、そう?でも本当に、家に帰ったらもっとちゃんと冷やしてね」
もう夏はとっくに過ぎ、すでに日も長いとは言えない11月の終わり。
まるで残暑が戻ってきたような真っ赤な夕陽に照らされて、横を向いた剣之介の顔も赤く染め上げられている。
「………先輩。あの、ハンカチ、ちゃんと洗って返しますから」
「え、別にいいよ?」
「そういうわけにはいかないっスよ」
譲る気配のない後輩に降参したのか、は諦めたように頷きを返した。
「ま、花柄だし。橘くんに使ってって言うのは、拷問だもんねぇ。うん、じゃあ、待ってます」
おかしそうに笑う気配がして、後ろをついてくる小さな影がゆらゆらと揺れる。
「…っス」
それがなぜだか無性に嬉しくて、剣之介はキュッと唇を噛んだ。
< 橘剣之介で10のお題 >
03.喧 嘩
喧嘩、といえばゲーム本編での文化祭イベントは最高でしたよね・・・・・・・・・ッ!!(恍惚)
剣之介くんのイベントは王道なものが多かったのでニヤニヤしっぱなしだったのですが(←どこのオヤジだ)
今回のお話はそのあとらへん、ということで。
こちらもある意味ベタベタな話にしてみました(笑)