草木も眠る丑三つ時、そんなことにはまるで無縁だとばかりにさんざめく店内で、明里はすっかり氷の溶けたグラスを静かに傾けていた。
「 impression 」
「明里さん……新しいの、作る…?」
「あ、うん。お願い」
薄めにしてねと頼めばこくりと小さく頷いてチヒロは汗を掻いたグラスに手を伸ばした。
彼が氷を落とすたび、カラン、カランと澄んだ音色が響いてくる。
「ごめんね…相手、オレで…。……万里さん、もう戻る…と思うから……」
ぽつりと呟かれた言葉にふと意識を向けた明里は、チヒロの申し訳なさそうな顔に気が付いて苦笑しながらゆるく首を振った。
「ううん、そんな……チヒロさんは気にしないで。万里さん、わたし以外にも永久指名のお客さんいるんだし、仕方ないもの。
それよりもチヒロさんとお話できて得した気分よ?」
「…ありがと…」
悪戯っぽく上目遣いで覗きこむと、チヒロは少し照れ臭そうにしたあと小さく笑った。
(こういうところ、やっぱりかわいいわ。チヒロさんって)
万里はトップにこそなれていないがフリーの指名客にもウケがよく、日によってはかなり待たされることもある。
明里自身はもはや仕方のないことと諦めていたが、第三者から改めてこんなふうに気を使われればやはりそれは嬉しい。
ましてや相手が普段無口なチヒロである。そんな彼が、と思えば自然と明里の口元も綻んだ。
そうして新しく作られた薄めの水割りが目の前に置かれた時、
「やー、ごめんね明里ちゃん。お待たせ〜」
チヒロと明里の座るソファの脇から不意に大きな人影が現れた。
特徴的な茶色い髪をきれいに逆立て、下品にならない程度にはだけられたシャツから覗く胸元にはネックレスがキラリと輝く。
声の主は臣万里―――――明里が永久指名した相手だった。
「あ、万里さんお帰りなさい。今日はなんだか忙しそうですね?」
人好きのする朗らかな笑顔で「ただいま」と返した万里は、もらっていいかなと一言断ると、自分で新しいグラスを引き寄せて水割りを作りながら首を捻った。
「うん、なんかね。ほとんどフリーだったけど炎樹待ちのお客さんってわけじゃないし、なんなんだろうなぁ。本当にゴメンね、明里ちゃん。
せっかく来てくれたのに挨拶しただけでほっといて……。チヒロもアリガト」
そう言うと当の二人は、
「……大丈夫。おれ、今…指名入ってないし……」
「おかげで得しちゃいました、私」
片や赤面して口元を押さえ、片や悪戯っぽい微笑みを浮かべながら、という予想外の返答に万里は苦笑するしかない。
これで明里がフリーの客ならばチヒロに指名を持っていかれる、という展開もアリだっただろう。
「…うっわー…。永久指名してもらったあとで良かったなぁオレ」
「ふふ、万里さんったら」
「いやいやホントに。お兄さん冷や汗かいちゃったよ」
万里の大袈裟な言いようにくすぐったそうに笑いながら明里がテーブルのグラスに手を伸ばした時、彼女のほっそりとした指に
見覚えのある輝きをみつけて、傍らに座っていた万里は「…あ」と呟いた。
「明里ちゃん、あの指輪はめてきてくれたんだ。いやー嬉しいなぁ。ほら見て見てチヒロ!明里ちゃんがしてる指輪オレがプレゼントしたんだよー」
「……え……そう、なんだ……?」
「えっ?あ……は、はい……。えと、その………変じゃない、ですか…?」
細いシルバーが波のように絡みあった華奢な台座に、淡いピンク色の小さな石が花の形にあしらわれている。
見た目にもけっして派手ではないけれど、どちらかといえば内気で楚々とした雰囲気のある明里にはよく似合っていた。
「うん………明里さんに、すごく…似合ってる」
「あ……ありがとう。チヒロさん」
「こらこら明里ちゃん。それはオレに言ってよ〜」
苦笑を浮かべながらどこか拗ねた口ぶりで抗議をすれば、明里は慌ててあっと口を押さえる。
「ごっ、ごめんなさいっ!」
物事を真に受けやすい素直な性格がなんともいとおしく、わかりやすい彼女の仕草に、器用にウィンクをして万里は笑った。
「なーんて、ウソだよ。ジョーダン。約束通りつけてきてくれて嬉しいよ」
ホストという仕事柄、永久指名の女性にプレゼントをすることも珍しくはない。
けれど彼にとっては、それすら含めたあらゆる意味で、明里に贈ったこの指輪は特別だった。
たまたまタイミング的に指輪をプレゼントした後日、永久指名をしてくれた明里のおかげで指輪の意味を勘違いしてくれる輩が多かったが、
万里にしてみれば、あれは自分的にちょっとフライングだったよなぁと思わないわけでもないのだ。
「でも、なんでこの指輪だってわかったんですか?あの時べつに中に入ったわけじゃなかったし、本当に通りすがりだったのに……」
感慨に耽っていた万里の隣から覗きこむようにして訊ねてくる明里は、今日もその愛らしい唇に明るいピンク系のルージュを引いて、不思議そうに首を傾げていた。
白い肌に施したごく薄いナチュラルメイクに、コーラルピンクの淡いルージュ。
もっと近い距離で見つめるたびに、何度その唇に触れたいと思ったか――――――きっと明里は知らないだろう。
……てゆーか、知られても困るんだけど。
「んー……それは、まっ、男のカンってことで。ね?」
今はまだ、口にする勇気が出ないから。 笑ってごまかす臆病なオレに幻滅しないでくれると嬉しいなぁ。
大本命の万里さん。つーか一番平凡な幸せが望める相手は彼だと思います。ダンナにしたいよ!!
そんな彼の初書きがこちらなんですが、あの指輪はなんだかえらく意味深だと思うのは私だけっすかねぇ・・・?
というわけで、万里の明里に対する印象(イメージ)、みたいなものを捏造捏造(笑)。