◆乙女の事情は秘するが花〜風呂編〜◇

 

江戸から京まで長旅をして、着いた晩に新選組と悶着を起こした挙句に縄で縛られて床に転がされ………考えてみれば散々な目にあった。

けれども互いの事情を織り込みつつようやくひと心地着けた千鶴は、真っ先にあることを思い出し、与えられた室内をぐるりと見回して
―――躊躇いながらも、今出てきたばかりの広間へと足を向けた。

 

静かに廊下を歩き、まだ灯りの漏れる広間をそっと覗く。

 

「す、すみませーん……誰か、いらっしゃいますか……?」
「おや。どうかしたかい?」

 

すぐにそう声を掛けてくれたのは穏やかな表情を浮かべた井上で、千鶴はほっとした様子で小さく頭を下げた。

 

「あの……大変申し訳ないのですが、手桶と手拭いを貸していただけませんか?あと、できれば井戸の場所を……」
「もちろんそんなことは構わないよ。しかし今時分にどうして……」

 

不思議そうな井上の問いに他意はないのだろう。
しばし逡巡したあと、千鶴は少しだけ言い難そうに目を伏せた。

 

「ええと、そのう………長旅のせいか、埃っぽい気がするので」

 

何もしなくていいから部屋に篭ってろと言い置かれた身だが、さすがに形は男でも千鶴とて女である。
水でいいからせめて体を拭って身奇麗にするくらいは許してほしい。
単刀直入に言うのは憚られたのだが、そこは年の功なのだろう。すぐにハッとしたような顔になって、

 

「………ああ!そうか、そうだった。すまないね、気がつかなくて。……お、土方君。丁度よかった」

 

井上はその時たまたま広間から出て行こうと横を通ったらしい土方を捉まえた。

 

「どうした源さん?」
「彼女にお湯を使わせてあげたいんだが、構わないかな?」
「は?いや、さすがにそれは……」

 

当然土方はいい顔をしなかった。当たり前だろう。
女であることがばれては不味いとつい先ほど言われたばかりだ。千鶴とてそこまで図々しいことはできないと、焦って口を挟んだ。

 

「いいえ、そんな……っ!あの、わたしは体を拭かせてもらえればそれだけで……」

 

もちろん湯でなく水でいい。
迂闊なことをして氏素性が露見しては、父を探すために新選組へ置いてもらうことができなくなってしまうし、何より条件付きでも見逃してくれた
土方や近藤らに申し訳なかった。

だが、そんな千鶴の思いも虚しく。

 

「雪村君がそんなに遠慮をすることはないぞ!いいじゃないかトシ、風呂くらい使わせてやれ」

 

土方の後を追うように広間から姿を現した近藤がそんなことを言い出した。
彼にしてみればほとんど自分たちの事情を押付ける形で屯所に軟禁されることになった千鶴に対して申し訳なく思う気持ちがあるのだろう。

だが、やはり土方は渋い顔を崩さない。

 

「けどよ、近藤さん……」
「それよりも寝巻きになるような浴衣はあったかな。女物など屯所にはありゃせんし……今夜のところは前川さんにでも」

 

どんどんと話を進める近藤に、やはり言い出さなければよかったと内心で後悔しながら、差し出がましいと思いつつも千鶴は土方に迫るその袖を引いた。

 

「あの、近藤さん!本当にわたしはこのままで……っ」
「いいやいかん!事情はどうあれ綱道さんの大切な娘さんをお預かりするんだ、必要以上の不自由を強いるのは申し訳ない。そうだろうトシ?」
「……そりゃあ……」

 

大の男―――それも近藤のような人物に心底すまなそうな表情を浮かべられては、さすがの鬼副長とてそれ以上強く出ることもできない。
しばし言葉を詰まらせたあと首の辺りをひと撫でして思案げに腕を組み、ややあってから盛大な溜息をつくと半眼で千鶴を見た。

 

「……………とりあえず、誰かしら監視は付けるからな」

 

土方にしてみれば最大限の譲歩だろう。
逆に、絶対に許可などでないと思っていた千鶴は、驚きのあまり呆けた顔でまじまじと土方を見つめてしまった。

 

「ええと………ほ、本当にいいんですか?」
「考えてみりゃあまったく入らないってのも無理があるしな。仕方ねぇだろ」

 

本意では決してないのだと言外に言う土方だったが、そんなことはお構いなしとばかりに破顔した近藤が急かすように千鶴の背を叩く。

 

「さあさあ、善は急げだ。今すぐ入ってきなさい」
「えっ!?ですが、あの近藤さんはまだ入られていないんじゃ……」

 

けれどいくらなんでも局長すら入っていない湯を先に使うなど申し訳ない。そう思って千鶴はやはり遠慮しようとしたのだが、

 

「私はまだトシたちと話があるから、気にせず入りなさい。源さん、頼むよ」
「そうだな、ちょうど永倉君たちも留守にしているし、今のうちなら大丈夫だろう」

 

とうとう埒が明かないと思ったのか、さぁ雪村君こっちだよ、と穏やかに笑う井上によって半ば追い立てられるように千鶴は風呂場へと連行されてしまった。
そうして他の人間が立ち入らぬように井上が見張りをしてくれることを知り、またもや千鶴は恐縮して、それはもう鴉の行水もかくやというほど早々に風呂を出た。

 

「すみませんでした井上さん。ありがとうございました」

 

からりと戸を開けて顔を出した千鶴が声を掛けると、振り返った井上はなんでもないことのように笑って首を振る。

 

「いやいや、湯加減は大丈夫だったかな」
「はい。さっぱりしました」

 

汗と埃を落とし、湯に浸かっただけでも体中の疲れが取れた気がして、最初は申し訳ないと思っていた千鶴だったが風呂を使わせてもらえたことは本当に有り難かった。
井上と近藤―――ひいては土方にも感謝しなくてはならない。

 

「それじゃあ、今夜はもう部屋に戻ってゆっくりおやすみ」
「あ、はい。お先に失礼します。おやすみなさい」

 

ふたたび広間の前を通って自室へと向かう途中、近藤たちの話に加わるらしい。
別れ際に挨拶をしながら井上が障子を開けた時、ちらりと車座になって座る幹部の面々が目に留まった。
先刻は近藤と土方、そして井上だけだったが、今は斉藤、永倉の他に平助までもが加わっている。

 

「おお雪村君。今あがったところかな」

 

もう一度井上に礼を言って立ち去ろうとしていた時、こちらに気がついた近藤がその場に座したままそう尋ねてきた。
まさか会釈だけを返すわけにもいかないから、きちんと向き直って頭を下げる。

 

「はい。あの、お先にいただいてしまって申し訳ありません」
「なんの、礼には及ばんよ。おやすみ」
「ありがとうございます。おやすみなさい」

 

そしてそのまま踵を返そうかと思ったのだが、少し考えてから千鶴は意を決してもう一度、広間の方へと声をかけた。

 

「あの……皆さんも、お先に休ませていただきます。今日はありがとうございました」

 

お話中に失礼しましたと会釈をし、慌てて場を後にする少女を見送って井上が障子を閉めると近藤さんは満足したように頷いている。

 

「考えてみれば悪いことをしたものな。良かった良かった」

 

だがそれは近藤だけで、平助と永倉はポカンとした顔をしているし斉藤と土方は無言だった。
土方にいたってはむしろ苦悶の表情に近い。

 

「………つーか今の………千鶴?」
「そりゃおまえ………左之じゃなかっただろ。あんな華奢な……」

 

「―――土方さん」
「わかってる斉藤。……皆まで言うな」

 

案の定だ。

 

案の定、面倒事がひとつ増えた。
考えなければならないことが山積みなのに、と嘆く暇すらありはしない。

 

「いやしかし、ああして見ると雪村君はやはり女子だなぁ!」

 

敬愛する局長のそんな暢気な一言に土方はがっくりと肩を落としてため息を吐いた。

 

 

 

幾重にも着こんだ着物の上からならばまだしも、湯上りなんて無防備すぎる状態では絶っっっ対に、バレると思うんですよ(笑)
きっと後にも先にも1回こっきりのことだと思いますがこんな迂闊なことがあったら楽しいな〜♪と書いてしまいました。

翌朝の反応がまた楽しそうだなと思うんですがいかがか。