◆乙女の事情は秘するが花〜風呂編〜◇
江戸から京まで長旅をして、着いた晩に新選組と悶着を起こした挙句に縄で縛られて床に転がされ………考えてみれば散々な目にあった。 けれども互いの事情を織り込みつつようやくひと心地着けた千鶴は、真っ先にあることを思い出し、与えられた室内をぐるりと見回して
静かに廊下を歩き、まだ灯りの漏れる広間をそっと覗く。
「す、すみませーん……誰か、いらっしゃいますか……?」
すぐにそう声を掛けてくれたのは穏やかな表情を浮かべた井上で、千鶴はほっとした様子で小さく頭を下げた。
「あの……大変申し訳ないのですが、手桶と手拭いを貸していただけませんか?あと、できれば井戸の場所を……」
不思議そうな井上の問いに他意はないのだろう。
「ええと、そのう………長旅のせいか、埃っぽい気がするので」
何もしなくていいから部屋に篭ってろと言い置かれた身だが、さすがに形は男でも千鶴とて女である。
「………ああ!そうか、そうだった。すまないね、気がつかなくて。……お、土方君。丁度よかった」
井上はその時たまたま広間から出て行こうと横を通ったらしい土方を捉まえた。
「どうした源さん?」
当然土方はいい顔をしなかった。当たり前だろう。
「いいえ、そんな……っ!あの、わたしは体を拭かせてもらえればそれだけで……」
もちろん湯でなく水でいい。 だが、そんな千鶴の思いも虚しく。
「雪村君がそんなに遠慮をすることはないぞ!いいじゃないかトシ、風呂くらい使わせてやれ」
土方の後を追うように広間から姿を現した近藤がそんなことを言い出した。
「けどよ、近藤さん……」
どんどんと話を進める近藤に、やはり言い出さなければよかったと内心で後悔しながら、差し出がましいと思いつつも千鶴は土方に迫るその袖を引いた。
「あの、近藤さん!本当にわたしはこのままで……っ」
大の男―――それも近藤のような人物に心底すまなそうな表情を浮かべられては、さすがの鬼副長とてそれ以上強く出ることもできない。
「……………とりあえず、誰かしら監視は付けるからな」
土方にしてみれば最大限の譲歩だろう。
「ええと………ほ、本当にいいんですか?」
本意では決してないのだと言外に言う土方だったが、そんなことはお構いなしとばかりに破顔した近藤が急かすように千鶴の背を叩く。
「さあさあ、善は急げだ。今すぐ入ってきなさい」
けれどいくらなんでも局長すら入っていない湯を先に使うなど申し訳ない。そう思って千鶴はやはり遠慮しようとしたのだが、
「私はまだトシたちと話があるから、気にせず入りなさい。源さん、頼むよ」
とうとう埒が明かないと思ったのか、さぁ雪村君こっちだよ、と穏やかに笑う井上によって半ば追い立てられるように千鶴は風呂場へと連行されてしまった。
「すみませんでした井上さん。ありがとうございました」
からりと戸を開けて顔を出した千鶴が声を掛けると、振り返った井上はなんでもないことのように笑って首を振る。
「いやいや、湯加減は大丈夫だったかな」
汗と埃を落とし、湯に浸かっただけでも体中の疲れが取れた気がして、最初は申し訳ないと思っていた千鶴だったが風呂を使わせてもらえたことは本当に有り難かった。
「それじゃあ、今夜はもう部屋に戻ってゆっくりおやすみ」
ふたたび広間の前を通って自室へと向かう途中、近藤たちの話に加わるらしい。
「おお雪村君。今あがったところかな」
もう一度井上に礼を言って立ち去ろうとしていた時、こちらに気がついた近藤がその場に座したままそう尋ねてきた。
「はい。あの、お先にいただいてしまって申し訳ありません」
そしてそのまま踵を返そうかと思ったのだが、少し考えてから千鶴は意を決してもう一度、広間の方へと声をかけた。
「あの……皆さんも、お先に休ませていただきます。今日はありがとうございました」
お話中に失礼しましたと会釈をし、慌てて場を後にする少女を見送って井上が障子を閉めると近藤さんは満足したように頷いている。
「考えてみれば悪いことをしたものな。良かった良かった」
だがそれは近藤だけで、平助と永倉はポカンとした顔をしているし斉藤と土方は無言だった。
「………つーか今の………千鶴?」
「―――土方さん」
案の定だ。
案の定、面倒事がひとつ増えた。
「いやしかし、ああして見ると雪村君はやはり女子だなぁ!」
敬愛する局長のそんな暢気な一言に土方はがっくりと肩を落としてため息を吐いた。
幾重にも着こんだ着物の上からならばまだしも、湯上りなんて無防備すぎる状態では絶っっっ対に、バレると思うんですよ(笑)
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